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匠を訪ねて

「三井ゴールデン匠賞」は、日本の伝統工芸において、作品づくりはもとより、未来につながる取り組みを行っている匠を表彰するもの。
今回は、若手作家を対象に自工房で研修を行うなど後継者育成に力を注ぐとともに、土や釉薬の開発や確保、道具・機器の改良にも尽力するなど、九谷焼の発展を支える地道で幅広い活動を行う山本篤さんにお話を伺いました。

優れた技術と気品に満ちた 作風は若手の信望も厚い。
40年前に独立して以来、後継者の育成や、九谷焼の業界全体の発展に力を注いでいる。

左 山本 篤さん(第2回「三井ゴールデン匠賞」受賞/株式会社 妙泉陶房 代表)
中央 髙岡 正宏さん(三井 E&S ホールディングス)
右 遠藤 薫さん(三井住友海上)

山本 篤

1956年生まれ。石川県出身の九谷焼の伝統工芸士。1975年に独立し妙泉陶房開窯。ロクロ成形での大皿、型打ち技法による食器などを手がけ、造形美にあふれる作品を制作。その技術を継承するべく40年前の独立時より弟子をとり、職人を多数育成。また、県の工業試験場と磁器坏土を共同開発するなど、原材料の確保や道具、機器の改良にも力を注いでいる。現・九谷焼伝統工芸士会会長。平成29年度全国伝統的工芸品公募展・内閣総理大臣賞受賞。

九谷焼の「型打ち技法」は、まずろくろで素地(きじ)を成形する。

素地の上に、同じ土を素焼きして作った型を載せ、職人の絶妙な力加減で型を押し付けていく。両者がくっつかないように、素地に片栗粉を振ってから型を載せる。

型の模様が素地に刻み込まれたら、型の縁に沿って糸で切る。切り落とした土も大切に再利用される。

型を外して成形が完成。型の縁が波型なら波型の器が出来上がる。工房には江戸時代からのものをはじめ膨大な数の型があり、現在もいろいろな型がデザインされている。

このあと、乾燥させ、高台や余分な部分の加工を行って850℃で素焼きする。不純物があればそれを掻き出してから跡をきれいに埋め直し、再度、素焼きを行う。その後、絵付けを行い、釉薬をかけて1300℃で焼くといった工程を経て完成となる

黄磁釉 花器(菊)

堂々としていながら優美なライン。独自に調合した天然釉薬を重ね掛けした透明感のある色調、菊の花の陰陽彫刻 で季節感を表現した逸品。

九谷焼の未来のため、若手育成や土の開発も

第2回「三井ゴールデン匠賞(以下、MGT賞)」を受賞されたご感想をお聞かせください。

現在、いろいろな人たちとコラボした活動を行っていますが、基本的には九谷焼の後継者に、より多くの発表の場を設けてあげたいという思いで行動しています。始めたのは15年ほど前ですが、ようやく実を結び、多くの人が活躍できるようになりました。

MGT賞の受賞は、こうした活動を評価していただいたわけですが、私のためというよりも、同じような活動をしている人たちにとって、大きな意義があると感じています。作品が評価される賞の場合、 受賞は自分が打ち込んできた結果に対してのものであり、自分のために頑張ったことが評価されたものです。しかしMGT賞は、若手や中堅の人たちがお客様とつながる機会をたくさんつくったことが評価されたもの。つまり、他人のために頑張ることも評価されるのだと知ってもらうことができた。この点にとても大きな意義があると思います。

一般的に、作家とお客様をつなぐ活動は役所や百貨店などのコーディネーターが行いますが、現場を知る職人自身が活動し、それが結果を生み、評価されるということが広く知られれば、次にまた同じ活動をする誰かが生まれたり、活動していく上での励みになるだろうと思います。

自工房で若手の研修を行うなど、後継者育成の取り組みについて教えてください。

私が弟子入りした頃は、師匠から教えていただくなんてことはありませんでしたが、当工房では、若い人たちに丁寧に説明しています。たとえばこの器は何kgの粘土が必要で、これだけの厚みでつくると、これだけの大きさにできるよと図面解説もする。昔は「感覚」でしたが、今の若い人たちには具体的な数値や形で教えたほうがいい。昔は「見て覚えろ」でしたが、それでは時間がかかるだけなんです。人によって手や指の長さも違えば、体力も違うけれど、コツと要点を解説すれば理解しやすくなります。窯の焚き方も同じ。昔なら「火の色を見て焚きなさい」などと言っていましたが、今は温度計やガス分析器がありますから、何℃のときにどの数値だと窯の中がどうなっているかを、火の色を一緒に見ながら解説する。そうすれば、10年もすると火の色で窯の状況や焼き上がりがどうなるかもわかるようになるんです。

また、百貨店やギャラリーでのグループ展を行う際には、お客様に自分の作品をアピールするだけでなく、その場にいる若手を紹介するようにしています。若い人にはお客様とつながるきっかけがなかなかないですし、モノを作る知識や技量があっても、それを販売まで結びつけるようなプレゼンテーション力もないですからね。そんなつなぎ役も、私の仕事だと思っています。

新たな磁器坏土はいどを開発したのには、どんな背景があったのですか。

今使っている坏土 (陶磁器用の土)を開発しようと思ったきっかけは、約30年前に宮内庁から晩餐会用の和食器を依頼されたことでした。土は宮内庁からの指定で、陶磁器の原料として広く利用されている九州の天草陶石を挽いた粘土を使いました。でも、作る食器の数は何千個にもなるので、それだけの量の土を天草から持ってくるのは大変です。ですから、それに代わる土がないかと研究していたときに、ちょうど石川県の工業試験場が透光性のある磁器坏土をつくる準備段階だったので、一緒に研究を行うことになりました。食器は天草陶石で試作を作りつつ、研究開発した土でも製作し、データとともに提出しました。約200社が参加していたのですが、7次選考くらいまであったものをクリアし、白さと強さでは2番目という高評価で最後まで残ることができました。

新しい土は昔から九谷焼で使われている石川県の花坂陶石に、珪石や海外のカオリンなどいろいろなものを繊細な割合で配合しています。釉薬も自分たちで作っています。かつては感覚で松や栗の葉を混ぜたり、材料や配合は経験値でした。それを、京都の学校で陶芸を学び、今うちでろくろ師として働いている息子がデータ化し、後世になっても、いつでも同じものが作れるようにしました 。

今後のビジョンをお聞かせください。

やり残していることがいっぱいあります。いっぱいあるから、私一人ではできない。だからそれらを次の世代に引き継いでいきたいと思っています。九谷焼は個人経営が多くて、一人か、夫婦二人という形態がほとんどです。私のところは兄の長左の陶房と合わせて15人くらいですが、これでも規模としては大きいほうになります。個人経営になってしまうと自分のところのことをやるだけで精一杯で、会合など外に出かけたり、全体をまとめて何かしようとしても時間が取れません。九谷焼を守って育てていくためには、全体を束ねて、各部が考えている小さな声を大きくしたい。そして何より、こうした活動を受け継いでくれる若手が育ってくれたらいいなと思っています。そのために私自身も頑張っていきますし、とても楽しく活動させていただいています。