匠を訪ねて

日本の伝統を継承しながら未来につながるものづくりに真摯に取り組み、さらに発展させている匠を表彰する「三井ゴールデン匠賞」。
今回は、第3回グランプリを受賞した綾の手紬染織工房の秋山眞和さんに、天然染色や日本原産種の蚕「小石丸」の養蚕に取り組み、手仕事を大切にするなど、昔ながらのものづくりを追求する想いを伺いました。

1941年生まれ。古代の天然染色の復元に取り組むだけでなく、その発色にふさわしい絹糸を求め、原種「小石丸」の養蚕まで手がける

秋山 眞和さん(第3回「三井ゴールデン匠賞」 グランプリ受賞/綾の手紬染織工房)
左上:藍染めや貝紫染めは空気に触れて色を放つ
左下:小石丸の絹糸は、絹本来のすべての良さを併せ持つ

❶日本原産種の貴重な蚕「小石丸」は商用としての飼育はできなかったため、秋山氏は研究所を創設し、3蛾分を譲り受けたことから養蚕をスタート。その後5年を経て実用化に成功した ❷伸び縮みするゆとりをもった理想的な絹糸にするため、昔ながらの手作業の座繰り器や資料を方々から取り寄せて開発した独自の座繰り器 ❸織り上げるまでには30以上もの工程があり、それらを機械に頼らずひとつひとつを手作業で時間をかけてつくり上げる

❹❺貝紫はかつて帝王や貴族の式服にしか使用を許されず「最も高貴な色」と言われながら、東ローマ帝国の滅亡とともに途絶えていた。秋山氏は日本近海に生息するアカニシ貝の内臓(パープル腺)から紫の色素の抽出と染色に成功し、貝紫を現代に蘇らせた。この功績により国から「現代の名工」に選出されている

自然の豊かな綾町。染色で色を濁らせる成分のない清らかな天然水も豊富なので、発色の良い染め物ができる

小石丸貝紫染
手織りストール
倭の詩(やまとのうた)

日本原産種の蚕「小石丸」からとった座繰り糸を、膨大な数の巻貝から抽出した貝紫の染料を還元建て染めの技法を用いて染め、これを経緯両方に用いて織り上げた秋山眞和氏の取り組みの結実であるストール。

古代の染 色法や日本の蚕など、織物の本質を追求

第3回三井ゴールデン匠賞(以下、MGT賞)のグランプリを受賞した感想をお聞かせください。

グランプリと聞いて大変驚きました。工芸の世界では作品そのものを評価する賞がほとんどです。しかしMGT賞はその背景まで評価してくださり、これこそ本当の工芸の賞だと思います。ものづくりというのは自分一人ではできません。原料や道具を作る人など、さまざまな人が関わっていますが、今回の受賞はその人たちにもスポットライトが当たったということ。工房のスタッフたちも、地味な自分たちの仕事が世間に認められたと、とても喜んでいます。

織物産地としての伝統が全くない綾町に工房を構えたのはなぜですか。

大正時代に父が沖縄で染織業を興し、戦争で職人たちと疎開してきたのが宮崎県でした。その後も沖縄の織物を続けていたのですが、私の中で「宮崎にいるのだから、宮崎ならではの織物をつくりたい」という想いが強くなっていました。そこで全国の織物や材料の産地を見学して回ると、どこも先進的な取り組みをしていて、今からではとても敵わない。それなら逆に「昔ながらのやり方」を追求しようと決心しました。

綾町に工房を移したのは、「綾」が糸へんの漢字で、織物にこだわりたい想いと合っていたからです。また綾町は織物とは無縁の土地で、それも良かった。というのも、もし織物の産地だったら、どうしてもその土地の材料や人の影響を受けてしまいます。でも何もない分、白いキャンパスに絵を描くように、いろいろなことを自由に試せました。材料も、道具も、糸を加工してくれるところもなかったけれど、何もかも自分でやらざるを得なかった分、自分の道を進むことができました。

染色法や絹糸について、現代と昔ながらのものの違いを教えてください。

水に溶けない藍は、現在は化学薬品で溶かして染料とするところがほとんどですが、私たちは化学薬品のない時代はどうしていたのだろうと試行錯誤を繰り返しました。その結果たどり着いたのが、灰汁という天然のアルカリ性水溶液を用い、バクテリアの力で水溶性の藍にする「天然灰汁発酵建て」という方法です。綾町は木が豊かで灰汁がたくさんあることも背景の一つでした。また、何世紀も昔に途絶えていた貝紫による染色を現代に蘇らせたいと思っていたのですが、貝紫も水に溶けません。そこで、この藍染めの方法を応用することで、「貝紫の還元染め」という技術を生み出すことができました。

しかし、藍染めの方法を確立したものの、博物館にある昔の着物と同じように染まらないのです。その理由は、糸の質の違いでした。昔の絹糸はケバ立ちが少ない。そこで、つくばの昆虫研究所で調べてもらうと、理想的な糸を吐くのは日本古来種の「小石丸」で、昔の着物にもそれが使われていたことがわかりました。

今の絹糸をつくる蚕は交雑種で、病気に強く、繭粒が大きくて糸も太いので、安定的に多くの糸を取れるといった経済性を主体とした種に改良されています。一方、小石丸はその名の通り小粒で糸が細い。また宮中の行事に使われ、そのために農林水産省が原種保存をする貴重な品種でした。糸に関しても昔ながらのやり方に徹底的にこだわりたい。その想いで、なんとか3蛾分を譲り受けたのが始まりです。

絹糸づくりから織り、染めまで手仕事にこだわる理由は何ですか。

現代の絹糸は、自動繰糸機で高速・高効率に糸をつくるので、ピンと強く引っ張ったままの状態です。しかし座繰り器を使えば、手でゆっくりと引くので糸が元に縮まる時間があります。また機械織りでは経糸にテンションが掛かるのに対して、手織りなら糸の張りにゆとりのある織物になり、それが風合いとか着心地という着物の「味」につながるのです。

藍だって発酵ですからお酒をつくるように時間がかかる。こうした時間は今ではムダとされることが多いですが、ものづくりには大切だと思います。経済性や効率性ではなく、糸や藍のペースに合わせることで、見栄えではなく、味という本来あるべき商品価値を高めてくれる。それこそが手仕事の力であり魅力だと思います。

三井グループに期待することや今後の目標について教えてください。

三井グループにはさまざまな業種があるので、タイアップの機会をいただいたりしながら、伝統のノウハウを活かしたものづくりのルートを広げられたら良いですね。というのも、後継の若者たちに対して、技術を伝えるだけでなく、夢やビジョンを持ってこの道に携われるようにしたいからです。そのために、いろいろとご協力いただけたら大変うれしいです。