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秋田杉の美しさを活かした、これまでにない曲げわっぱ
第3回「三井ゴールデン匠賞」ファイナリスト
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秋田杉の美しさを活かした、これまでにない曲げわっぱ
1948年秋田県大館市に生まれる。67年秋田県立能代工業高等高校木材工芸科卒、栗盛久吉商店入店。68年父、常治急病にて店主に至る。角盆が秋田県初のグットデザイン賞入選。96年有限会社栗久に改組。88年通商産業大臣指定伝統工芸士認定。2011年現代の名工(厚労大臣表彰卓越技能章受章)、グットデザイン賞30点選定
1918(大正7)年創業。六代続く、秋田の特産品大館曲げわっぱの工房。日本各地に曲げわっぱは多くあるが、秋田杉の美しい相、色を活かしてそれまでになかった円錐形の曲げわっぱを実現し、工芸品ともいえるものをサラダボウルやワインクーラーなど生活用品に落とし込んだデザイン力は、群を抜いている。秋田県初となるグッドデザイン賞ほか、全国伝統的工芸品展・デザイン賞、ロングライフデザイン賞など数々の賞を受賞し、その企業秘密ともいえる技術を若い職人に継承し、地域活性化に取り組む。
江戸時代に大館城主が秋田杉を生かして下級武士の内職として奨励したことにより、秋田県大館市の特産品となった曲げわっぱ。おひつや弁当箱として人気を呼び、今でも多くの工房が腕を競う。栗久六代目の栗盛俊二氏が生み出した曲げわっぱは、「積み重ねができないか」という顧客のニーズに答えるべく、元来は円筒形の品を円錐形に作ることにより収納性をアップしたもの。この技術を活かし、そばちょこ、サラダボウル、フルーツボウル、ぐい飲み、ビアカップ、おわん、ワインクーラーなどを制作。接合面が二次曲線で、その面を削りだす治具の開発が難しく、最初の発売から20数年たった今もコピー商品が出ないほどの高い技術を持つ。
曲げわっぱ おひつ フルーツボウル ワインクーラー
円筒形である曲げわっぱではスタッキングができず使いづらいという意見から、試行錯誤を経て積み重ねができる円錐形に。サラダボウル、フルーツボウル、ワインクーラーやビアカップ、そばちょこなどに応用した。
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岩手県・一関から世界を彩る染物屋へ
第3回「三井ゴールデン匠賞」ファイナリスト
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岩手県・一関から世界を彩る染物屋へ
1918年創業。2013年株式会社京屋染物店へ法人化。15年経営革新認定企業として承認。経済産業省TheWonder500 受賞。18年おもてなしセレクション受賞。19年「エコテックス® スタンダード」「製品クラスⅠ」プロセス認証取得。「SAPPAKAMA」グッドデザイン賞
岩手県の城下町一関で100年続く京屋染物店。創業101年を迎えるにあたり、新たなスタートとして自社ブランド「en・nichi」をスタート。祭りや伝統芸能の衣装で長年培った染め、縫製の技術は現代においてもファッション性が高く、東北地方の伝統的な野良着をアレンジしたパンツ「猿袴(さっぱかま)」は2019(令和元)年グッドデザイン賞を受賞。「スノーピークとのコラボもそうですが、芸能の技術が洋服として現代の生活でも違和感なく取り入れられる点を評価しました」
半纏や浴衣、手ぬぐいなど祭り装束をデザインから染め、縫製まで一貫して行ってきた全国でも数少ない染め工場。1000種以上の郷土芸能を擁する岩手県で、祭り装束、郷土芸能衣装の制作で貢献し続けてきたが、担い手不足により多くの祭り、伝統芸能の縮小にともない染め物業界も縮小。厳しい状況のなか、培った技術を活かし自社ブランド「en・nichi」を立ち上げる。半纏、鯉口シャツ、猿袴、割烹着、手ぬぐいを展開。日本文化を伝えるため海外への販路を開拓し、縫製・染色技術を次世代につなぐため定期的にワークショップを開催。アウトドアブランド「スノーピーク」とコラボレーションするなど業種の垣根を越えてものづくりの縁をつなぐ。
en・nichi: SAPPAKAMA, HANTEN, KOIKUCHII
スノーピーク LOCALWEAR: HANTEN, Printed SARUHAKAMA/ NIHON Batk
スノーピークとのコラボレーションによる「LOCAL WEAR IWATE」。創業101年を迎え、新しく立ち上げた「en・nichi」。ともに祭りや郷土芸能の技術、ノウハウを活かし、職人たちが丁寧に手づくりしている
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ガラス職人たちが新しいカタチを生み出す“開発研究会”
第3回「三井ゴールデン匠賞」ファイナリスト
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ガラス職人たちが新しいカタチを生み出す“開発研究会”
1932年菅原一馬の個人営業によりガラス食器の製造に着手。東京・墨田区を経て、62年千葉・九十九里に移転。以降、「微笑みあふれる暮らし」を目指して、様々なガラス製品を製造している。技術者である職人たちがデザインを行うというユニークな開発手法のもと、ガラスの美しさをお届けしている
減少の一途をたどるガラス製造業において、オープンファクトリーや相談の受け入れなど、後継者を育てる努力と、千葉県をはじめとするものづくりの魅力を伝えるため、クラフトとフードのマーケット「くらしずく」を開催するなど、新しい挑戦が評価された。すべてオリジナルであり、手吹きにこだわった商品は、いずれもガラスというクリアな素材感を越えてあたたかな雰囲気を持ち、特に「3種の泡」は、ガラス内に閉じ込められた泡の表情がこれからの時代にマッチする有機的なデザインであると好評を得た。
1961(昭和36)年創業のガラスメーカー。現在4000種以上のオリジナルデザインのテーブルウエアや花器を展開し、毎年200点以上の新製品を制作する。商品はプロダクトデザイナーではなく、「高温で溶けたガラスが一瞬一瞬に見せるかたち、輝きは現場でガラスと向き合う職人だからこそ見いだせる」と、手吹きの職人が考えるというユニークな方法で取り組む。若手の意見を取り入れるほか、さらに研究開発会のなかに20代だけのチームを結成。心から楽しんで作ったものを客に届ける、というモットーのもと、後継者不足の解消、若手育成に務めている。同業者団体、企業、個人作家の見学、相談を受け入れ、業界全体の興隆を目指す。
3種の泡(深海から沸き起こる泡、神秘的に立ち昇る泡、規則的に並んだ泡)
コントロールが難しい泡の表情に徹底的にこだわり、ベテランと若手職人の取り組みにより「深海から沸き起こる泡」、「シャンパンのように1点から立ち昇る泡」、「規則的に並んだ泡」を表現した。
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伝統文化と現代の暮らしを繋ぐ工芸ギャラリーを運営
第3回「三井ゴールデン匠賞」ファイナリスト
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伝統文化と現代の暮らしを繋ぐ工芸ギャラリーを運営
1961年山口県生。電機メーカー宣伝部、通信会社でインターネット事業の会社員勤務を経て、2011年に埼玉県川越市にギャラリーうつわノートを開設。現在、うつわギャラリー店主
美術領域にある工芸と生活領域にある工芸を境界なく扱い、弱体化する従来の伝統工芸、美術工芸、鑑賞工芸、前衛工芸などハイカルチャーに属する工芸の流通と、クラフト、生活工芸などの大衆的な文化、現代的な流通の場と接続することで価値を問いかけてきた影響力は大きい。「全国に器、工芸を扱うギャラリーは多くあるが、松本武明氏の言動により従来の工芸好きだけでなく、現代のライフスタイルにおいても作家ものの器を使う楽しみを浸透させた」(審査員・菅野康晴氏)と、作家と使い手をしっかりとつなぐ手腕が評価された。
埼玉県川越市に2011(平成23)年4月より開業した古い洋館を改装したギャラリー。年間20回のペースで、産地を特定せず全国の個人作家の器(陶磁器、木工、ガラス、漆器などを展示販売する。オーナーの松本武明氏は工芸への深い理解と視点を持ち、ギャラリー開設以前の6年間に綴っていたブログは、器好きの間で彼がなにを薦めるか大きな影響力を持っていた。ギャラリー開設後も、工芸の美的価値、歴史的な系譜、技法、人物の背景をていねいに言葉で表現、展示を通じて顧客に伝えている。また、多くの若手作家の制作において的確な助言を行い、作家がより大きく成長するための伴走者でもある。
ギャラリーうつわノート展覧会風景
築90年の和洋折衷古民家をギャラリーとして利用。産地を特定せず全国の個人作家の器を展示販売する。ネット等での自身の言葉とともに、今の時代における工芸品の意味を解き明かす場となっている。
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現代の環境に適応した江戸指物製造技法を開発
第3回「三井ゴールデン匠賞」ファイナリスト
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現代の環境に適応した江戸指物製造技法を開発
1951年東金市出身。69年千葉県立総合職業訓練校卒、江戸指物師島﨑國治親方に師事。85年江戸指物師として独立。独立後無垢材の変形を防ぐ新技法を20以上開発し、広く公開する。90年より江戸指物協同組合を牽引し、毎年谷中にて江戸指物展を開催(今回で30周年)。現江戸指物協同組合理事長
江戸指物協同組合の理事長。江戸指物のなかでも最上級の素材である島桑を扱う「桑物師」として尊敬を集める名工である。昭和60年代(1985年以降)からエアコンやアルミサッシなどの採用が増え、室内の気密性があがり乾燥が強くなったことから、収縮膨張する無垢の木材の変形を踏まえた新しい技法を確立することが業界の長年の課題となっていた。環境変化と顧客のニーズに即して柔軟に工夫を重ね、生み出した新しい技法を積極的に公開して組合員と共有。江戸指物産地の継承に貢献してきた姿が高く評価された。
島桑を扱う「桑物師」として50年に渡り制作を続ける。島桑は、御蔵島産の希少な材料で扱いが難しく、専用に調節した道具と極めて高い技術がないと美しく加工することはできない。注文する顧客がいなければなかなか制作がかなわない贅沢な材だが、歌舞伎界の楽屋鏡台を始め、将棋、落語など古典芸能界、宮内庁の御用のほか、徳川家ゆかりの貴重な伝世品の修復も手がけてきた。こうした第一級の仕事を通じて培った様々な新工夫は20以上に及び、組合員とともに更なる研鑽に励んでいる。また、30年以上も続く組合員総出の展示会を創設、江戸指物の魅力を消費者はもとより流通やメディア関係者に積極的に発信している。
最高級材の島桑を加工した印箱。なかでも、特に希少な美しい木目「銀杢」を用いた。50年、100年使ううちに徐々に飴色に変わる島桑の美しい経年変化に惹かれ、印箱はもとより各種特別注文があとをたたない。
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金箔を使った新しい表現で陶磁器の伝統技法の継承と価値の創造を
第3回「三井ゴールデン匠賞」ファイナリスト
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金箔を使った新しい表現で陶磁器の伝統技法の継承と価値の創造を
1960 年石川県小松市生まれ。97年国際色絵陶磁器コンペティション97九谷準大賞。99年国際陶芸ビエンナーレ99 特別賞。2010年日本伝統工芸展高松宮記念賞。13年日本伝統工芸展60回記念「工芸からKOGEI へ」展(東京国立近代美術館工芸館)。14年第19回MOA岡田茂吉賞展(熱海市MOA美術館)
金襴手の伝統技術を受け継ぎ、ドットのモチーフやパステルカラーなどの要素を取り入れた作風は「現代的で九谷焼の新しい表現」(審査員・外舘和子氏)。小松九谷工業組合理事長として行政とともに「こまつ未来のカタチ実行委員会」を設立。九谷焼産業従事者だけでなくデザイナー、カメラマン、教育関係者などさまざまなジャンルの賛同者と意見交流、問題解決をはかり地域活性化に尽力。九谷焼技術研究所の講師、伝統工芸諸団体の事務局として、若い層への影響力、指導力においてより大きな活躍が期待される。
1906(明治39)年創業、九谷焼の上絵付専業の窯元である錦山窯。四代目吉田幸央氏は、習得した様々な金彩の伝統技法に新たな工夫を重ね今までにない表現に挑戦。従来は釉薬による滑らかな素地表面に金箔を貼るため、比較的単調な表現しかできなかった金襴手だが、素地にあらかじめ凹凸を施し、より複雑で味わいのある金彩表現を可能にした。また、単色であった地色を何層にも塗り重ねることで素地の色により複雑な色調を生み出した。パリの見本市出店やホームページの和英対応など海外への情報発信や、小松九谷工業組合理事長として行政と協力し若手後継者育成、販路拡大、産業構造の変革にも積極的に関わる。
金襴手彩色陶筥
金沢産の金箔とその金箔を細かくすりつぶし自社で制作した金粉を使用。市販の金泥絵の具よりも発色がいい。素地に撥水材を使い、青やピンクなど淡い色を重ねることで水彩画のような独特の表現を可能にした。
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美しい日本の文化と自然を喜ぶ歌が聞こえてくるようなキモノ作り
第3回「三井ゴールデン匠賞」ファイナリスト
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美しい日本の文化と自然を喜ぶ歌が聞こえてくるようなキモノ作り
1952年金沢市大野町出身。80年多摩美術大学日本画専攻卒、加山又造、上野泰郎両氏に学ぶ。父である初代の下で加賀友禅を修業、89年二代由水十久を襲名。90年京都文化博物館二代由水十久襲名記念展開催。96年伝統加賀友禅工芸展にて金賞受賞。2001年石川県指定無形文化財加賀友禅技術保存会会員に認定
加賀友禅への評価は、糸目糊置きの線表現をどの程度極めているかにされる。二代 由水十久は、初代の技法、様式をそのまま継承するのではなく、さらに発展。独自に世界の古典文学、能や狂言、クラシック音楽などをモチーフに細密描写を極め、加賀友禅では異色の存在感を放つ。日本における友禅染織工芸において大きな個性であり、完成度が高い作品との評価につながった。着物の図案をワンピースやドレスに展開し、新しい顧客創造にも貢献している。
1989(平成元)年に親の雅号を受け継ぎ、「二代 由水十久」を襲名。初代の糸目糊における写糊技法、多彩で繊細な様式、童子模様を独自に継承発展させながら、二代としてより繊細に、日本の古典文学や芸能をはじめとして古今東西の文化と自然をモチーフにファンタスティックな世界観を構築。ニューヨークなどで個展開催。現代人の感性に沿う友禅染め表現を創造。石川県指定無形文化財加賀友禅技術保存会主催の伝統加賀友禅工芸展に審査員として参加。講評会等では、後輩の指導に積極的に関わる。加賀友禅技術振興研究所では、自らの着物の図案を洋装に展開。着物の制作プロセスを映像、壁画作品にするなど、日頃の着物デザインを他分野に応用し、新たな芸術となる可能性を開いた。
加賀友禅訪問着「横浜物語」
幕末から明治初期に流行した浮世絵「ハマ絵」。二代、三代広重らによって描かれた横浜における文明開化、異国趣味をモチーフにして訪問着に。由水十久の象徴である細密描写が冴え渡る。
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伝統技術の匠の技にデザイン性をプラスして世界に挑戦
第3回「三井ゴールデン匠賞」ファイナリスト
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伝統技術の匠の技にデザイン性をプラスして世界に挑戦
1960年福井県出身。2008年龍泉刃物代表取締役三代目に就任。13〜17年5年連続グッドデザイン賞受賞。17年全国伝統的工芸品公募展「経済産業省製造産業局長賞」受賞。18年地域未来牽引企業に選定され越前打刃物の成長、発展に取り組む
鍛造、研ぎ、磨きの高い技術を活かし、プロダクトデザイナーと開発を進めたカトラリー、特にナイフは注文から30ヶ月待ちという状況。同業との競合を避けるため海外販路の開拓に注力した結果メディアでの露出があがり、敷地内の直営ショップでは5割以上が県外や国外からの来客。職人として働きたいという若手の応募が増えた。自社だけでなく近隣の伝統産業(和紙、簞笥、漆器、やきもの)の生産者とともにオープンファクトリーイベント「RENEW」を開催。「越前丹南地域の刃物産業を背負って牽引しているといっても過言ではない」(審査員・山田遊氏)と地域活性化への貢献も評価された。
約700年の伝統を持つ越前打刃物。南北朝の時代、京都の刀匠が来住し越前の農民のために鎌を作ったことが起源とされる。以来、越前の農具は全国トップの生産高を誇ったが農林業の機械化により激減。「日本刀を鍛え上げた鍛造技術や切れ味を長く維持する研ぎの素晴らしい技術があっても、時代に受け入れられる商品でないと継承は困難」と、龍泉刃物では鉄と鋼が主流だった1970(昭和 45)年にいちはやくステンレス鍛造包丁に着手した。性質の異なるふたつの材料を重ね合わせた積層材を用い、独特の模様を「龍泉輪」と名付け刀身に採用。カトラリーなど新分野のジャンルに取り組んでいる。
STEAK KNIFE ASYMMETRY SK01
切れ味と安全性、相反するニーズに応えるため、刃先は丸く手元には刃をつけないデザインに。切刃の部分は、触れただけでは切れないがスライドすると切れ味を発揮するように2種のステンレス鋼を積み重ね鍛造。アシンメトリーのフォルムは左利きでも使いやすい配慮。
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1500年の越前漆器生産技術を継承し、産地を未来へつなぐ。
第3回「三井ゴールデン匠賞」ファイナリスト
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1500年の越前漆器生産技術を継承し、産地を未来へつなぐ。
福井県鯖江市にて1793(寛政5)年創業。代々越前漆器の塗師屋として産地内分業制の一片を担う。主に丸物(お椀、皿類)の下地と上塗りを得意とする。産学官連携にて、耐熱性に優れた漆と色彩豊かな漆の研究に取り組み自社商品化。技術継承に5名の若手職人を雇用し、地域産業観光のリーダーとして産地を牽引する
OEM生産の低迷を見越し自社ブランドを立ち上げ、熱に強い硬質漆を産学官連携により開発。「食洗機で洗える漆椀」の商品化による新たな層への販路の拡大が評価された。福井のさまざまな分野の工場が参加するオープンファクトリーイベント「RENEW」の立ち上げにもかかわり、出店企業120社を越え、2019年グッドデザイン賞を受賞するほどの観光産業イベントに成長させた。このイベントを通じ「ものづくりに携わりたい」と80名を越える若者が鯖江市へ移住。地域のメーカーへの人材不足を補う事業計画に大きく貢献した。
1793(寛政5)年創業の227年続く家業・塗師屋業を内田徹氏が八代目として継承。15年に渡り、祖父と父の元、漆器制作の下地と上塗りの修業をし、木地から上塗りまで厚さを一定に仕上げ塗膜を均一にする技術を習得。産地に残る塗り技法を調べ直し、同じ形状の椀に8種もの違う技法(真塗り、刷毛目、木地呂塗りなど)で塗り上げたシリーズを自社製品として発売。2015(平成27)年より国立大学法人福井大学にて産学官連携本部に入部。漆の研究を県と大学とともに行い、耐熱性の高い漆を開発。これが「食洗機で洗える漆椀」につながり、新たな市場を開拓。経済産業省「中小企業がんばる企業300社」にも選出された。
食洗器で洗える漆椀(RIN&CO.)
福井県、福井大学との産学官連携によって堅い塗膜を実現し、食器洗い乾燥機にも耐えうる漆の平椀。現代の食生活にも沿い日用の食器に使えるように、独自の形状と美しい彩りに仕上げている
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つながりゼロから創り出した竹籠バッグが広げる産地への貢献
第3回「三井ゴールデン匠賞」ファイナリスト
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つながりゼロから創り出した竹籠バッグが広げる産地への貢献
1974年東京都出身。2007年京都伝統工芸専門学校竹工芸専攻卒業。11年竹工芸(編組)一級技能士資格取得。竹工房喜節開設。第51回京都竹工展京都市長賞受賞。13年京もの認定工芸士(京竹工芸)認定。14 年京ものユースコンペティショングランプリ、18年平成30年度全国伝統的工芸品公募展内閣総理大臣賞受賞
「伝統と革新」。まさにその言葉に尽きる、竹籠をクラッチバッグに変えた発想と技術が高く評価された。また、12年間はひとりで制作から販売を行っていたが、2019年から初めて弟子を採用。京都の工芸のブランドをより高めていきたいと、若手職人への称号「京もの認定工芸士」のなかでも意欲が高い人を募り、有志の会「響」の立ち上げにかかわる。副会長として25名の会員と作品の展示会、ワークショップ、工芸に興味を持つ大学生への工房見学会など多岐に渡る活動を推進。2020(令和2)年には会長就任予定で次世代の技術継承にも取り組む。
30歳を越えてから会社勤めをやめ伝統工芸の専門学校で竹編みを学び、卒業後に自身で工房を開業。現代の生活においても需要が見込まれる竹工芸の新たな商品として洋装、和装、国籍を問わず持ち歩けるデザインの竹籠バックを開発。各方面で高い評価を得ている。今年度からは竹工芸の展開を広げるために初めて弟子を受け入れ、後進の育成にも取り組んでいる。また、工芸の産地としての京都を若手職人から活性化すべく、京もの認定工芸士会「響」の設立に発起人として準備段階から中心的にかかわり、京都の工芸と若手職人の魅力を広く発信するために注力している。
網代編セカンドバッグ
男性が違和感なく持てるデザインをと、シックな色に染めた竹の網代編みに、さらに漆塗りで落ち着いた色合いに。スーツなど洋装にも合うようセカンドバッグの形状にした。内装にはファスナー付きポケット、カード差しを配置し、財布バッグとして使用可能。
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伝統を紡ぎ、後世に伝える
第3回「三井ゴールデン匠賞」ファイナリスト
岡山県岡山市
須本 雅子
烏城紬保存会/烏城紬
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伝統を紡ぎ、後世に伝える
1940年岡山市出身。73年家業であった烏城紬を本格的に始める。91年岡山県美術展山陽新聞社賞受賞。96年後継者の育成を始める。2011年全国伝統的工芸品公募展中小企業長官賞受賞。14年全国伝統的工芸品公募展内閣総理大臣賞受賞。15年岡山芸術文化省功労賞受賞
児島郡(現在の岡山市灘崎町)で生まれた烏城紬。産地としての規模は小さく、糸紡ぎから染色、織りまですべての工程をひとりで行うため、その技術の継承はたやすいことではない。中小企業長官賞、内閣総理大臣賞の受賞歴を持つ四代目織元の須本雅子氏は、ひとりでこの技術を守り、工房と隣接する伝承館で見学者に開放、機織りや糸紡ぎ体験会や個展、弟子達との作品展も開催するなど烏城紬のPRに取り組む。公民館で講座を長年続けたことで多くの受講生、弟子を持ち、後継者育成にも成功していることが評価された。
江戸時代から続く烏城紬。元々は綿織物であったが、1931(昭和6)年に須本雅子氏の祖父・三宅小三郎氏が綿を絹にかえ、緯糸には撚りをかけずに「からみ糸」をコイル状に巻きつける独特の技法を生み出した。この烏城紬の工程は分業せず、糸紡ぎから精錬、整経、機ごしらえ、織りまで一貫して行う。四代目織元を継いだ須本氏はこの技法を絶やしてはならないと、後継者の育成を目的に指導にも注力。3年を1クールとして始まった講座は2019(令和元)年には9期生を迎えるほど盛況に。講座卒業生の中には県展で入選する者も増え、技術の伝承、向上に結果を出している。烏城紬保存会を作り、活動の場として工房の隣に伝承館を構える。
梅見附
風合いがよく軽くあたたかい烏城紬。ひとりで全工程を行うため、量産ができず総て一点もの。梅の枝、藍、玉ねぎの皮で染めた糸を手織りした縞着尺は、普遍的な魅力を放ち着物通の熱い支持を得ている。
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伝統の技を守りながらも新鮮さを加えた、新しい世界の開拓
第3回「三井ゴールデン匠賞」ファイナリスト
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伝統の技を守りながらも新鮮さを加えた、新しい世界の開拓
1967年福岡県生まれ。2012年鍋島緞通四代目技術継承者を襲名。16年全国伝統的工芸品公募展特別賞受賞。幼少期より工房を遊び場として育ち自然と織りの技術を習得。現在は三代目の両親、五代目の長女と共に一家継承による伝統の技を守りつつ、100年後を見据えた作品作りを目指している
鍋島緞通の技術を守り続けてきた吉島家。2012(平成24)年4月に吉島伸一鍋島緞通株式会社を設立し、新たに四代目として長女の吉島ひろ子氏が継承者として就任。「ペルシャ絨毯やギャベなどさまざまなカーペットが輸入され身近なインテリア商品として人気を呼んでいる今、高温多湿な日本の季節によりふさわしい緞通の魅力を伝えたい」と、「かわいらしい」をコンセプトにモダンな色、柄を提案。一族の功労と高い手織りの技術、幅広いデザイン力が評価された。
350年に渡り先祖が受け継いで来た鍋島緞通の技術を、今も織元として受け継ぐ吉島伸一鍋島緞通。すべて手織りという技術をいかし、伝統的な図案、色彩を大切にしながら、敷物だけでなくタペストリーや絵画のような繊細なアートピースにも対応。オーダーメード感覚の商品作りを行う。一方で、十五代酒井田柿右衛門氏や井上萬二氏にオリジナルデザインを依頼したり、古い鍋島更紗の図案をアレンジしたものを提案、陶磁器、更紗、佐賀錦などほかの工芸品を通じての図案づくりに務めるなど地域全体の知名度アップにも貢献。若いデザイナー、織師の育成に力をいれてきたことで、すでに若い職人が実践力となっている。
伝統的な図案からはなれ、現代の生活に沿う「かわいらしい」をコンセプトに、古い鍋島更紗より起案。手仕事ならではの細やかな花葉や蝶の連続文でさわやかな色調
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途絶えていた薩摩切子の復活に貢献
第3回「三井ゴールデン匠賞」ファイナリスト
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途絶えていた薩摩切子の復活に貢献
1962年伊丹市出身。84年東京ガラス工芸研究所在籍中、薩摩切子復興の担い手として白羽の矢が立ち鹿児島に赴任。85年薩摩ガラス工芸株式会社が設立、技術者としてその中枢を担う。2001年2色被せを使った「二色衣」を開発。現在は企業の取締役であると共に、薩摩切子作家としても活躍している
36年に渡り薩摩切子の技術の復興に情熱を注ぎ、透明の素地に2色をかぶせた3層構造の新しい素材および新しい模様を考案。「二色衣」と名付けた技術を開発し、幾何学模様が主であった薩摩切子に曲線や花のモチーフなど優美さを取り入れ表現を広げた貢献は大きい。また、工芸に限らず多くの人が手に取りやすいようアクセサリー、テーブルウエア、インテリアなど、今後さらにシェア拡大が見込まれる分野を開拓。公共の建造物まで、薩摩切子が使われるようになった。取締役として社をあげて、あえて効率化しすぎない手仕事のよさを守り残す努力をし、技術継承、後継者育成に務める。
明治初期から100年以上衰退していた薩摩切子の技術を復興するにあたり、技術者として東京から鹿児島へ赴任、資料研究、加工試作に着手した。1985(昭和60)年、薩摩ガラス工芸株式会社が設立され入社。本格的な復興事業を、その後36年に渡り押し進める。カット加工の高い技術を有し、成形技術である吹きガラスは知識のみであったが、研究を重ね「蝙蝠文船形鉢」、翌年には「ちろり」の復元に成功。以後、薩摩切子の技術を活かし、アクセサリーや茶道具、照明器具など多岐にわたる新商品を生み出す。2001(平成13)年には新技術、二色衣を開発。切子の新しい表現法を切り開くとともに、作家として美術工芸の分野にも挑戦。
日本的な要素をガラスに取り入れたいと自身で二色衣という色の表現法を開発。赤色と薄墨色を2層に重ねて使い水墨画を感じさせる色彩に。島津家の家紋である大輪の牡丹と中根氏が得意とする曲線と伝統的な幾何学文様を組み合わせた大鉢。